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執筆者の写真若林町会

2024年3月6日 若林のまちのこと、若林の昔、今、これからを河野町会長に語り尽くしていただきました

更新日:8月28日

いちのいちのサービス運用開始を記念して、若林町会の河野会長を訪ね、町会長の等身大の目線で若林のまちのことや歴史を語っていただきました。いつでも何にでも全力投球の河野会長のお人柄も伺い知ることができます。皆様ぜひご覧ください。


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最初に河野会長の人となりをお伺いできればと思います。まず会長の生い立ちから教えていただけますでしょうか?


「私は生まれも育ちも若林、若林1丁目の世田谷通りに面したところで育ちました。学校を出てから社会人になって、転勤のない会社に入社したはずだったんですが、ちょうど50歳のときに転勤が一度だけありました。兵庫の西宮で2年間、ちょうど阪神大震災のとき、震災を経験し、東京に戻ってきて64歳までサラリーマン生活を送りました。

定年退職と同時に、町会を手伝ってほしいということで、当時の財務部長さんが高齢になっていたため財務の仕事を引き継ぎました。町会費全体では1000万円ぐらいの予算を動かしていく重大な仕事ですので、後ろ指を指されるようなことがないようお金の出入りに十分注意しながら財務部長としての仕事をこなしました。

6、7年経って、当時の町会長だった根岸茂さんが病に倒れました。子供の頃からよく知っている方で、根岸家とは親戚のような付き合いでした。また、当時副会長だった河野誠一が私の兄で、やはりサラリーマンを卒業してから町会活動に参画していましたが、この2人から推薦を受け、私も若林の町を盛り上げられたらと思い、会長を引き受けることにしました。

会長になって8年になります。なにより若林町会で一番良いところは優秀なスタッフが揃っているということです。この8年間ほとんど町会内での人事異動はないのですが、ベテランがそれぞれの自分の受け持つ部署を的確に推進していただいています。チームワークが良く、お互いを尊重しながら、ボランティアで活動に励んでくれています。町会の人材は非常に恵まれているというのが実態です。10部門と1〜5丁目の各ネットワークで構成されていますが大きな揉め事もなく調和が保たれている町会だとつくづく思います。」



昨年の夏、本当に暑い中で若林公園でD型搬送ポンプでの初期消火訓練に会長自ら参加されていました。健康の秘訣があれば教えていただけますか?


「実は結構お酒も飲みますが、わりとスポーツも好きで、若い頃から体を動かすことが好きです。ゴルフは今でも多い時は月に3〜4回は行きます。50〜60代から85〜6歳くらいまでのメンバーが集まっているグループに所属していて、シニア親睦会など色々な大会に参加しています。今はスコアは100を切れるかどうかですが、昔は90前後、80台で回れることもあるくらいでした。あと音楽が好きなんですよね。音楽を聞くというのは健康維持のため非常にいいことじゃないかなと思います。」



ご自身でもバンジョーを演奏されてるんですよね?敬老会でも披露されていました。


「学生時代から始めた軽音楽で、ジャズの一番古いトラディショナルジャズというものをやっています。今でも当時の仲間たちと集まって演奏したりしています。」



若林の地域の魅力と歴史についてお尋ねしたいです。生まれも育ちも若林ということですが、若林地域は昔はどんな町だったのでしょうか?


「非常に素朴な街でした。それほど犯罪もなく、昔から安全なまちだったんじゃないかなと思います。畑が多く、茶畑もありましたね。私が生まれ育った世田谷通り沿いは牛馬車が通ってました。自分が若い頃はマンションはまだそんなに建っていなかったです。人が増え始めたのは戦後からで、戦災で上野や青山あたりまでも焼け野原になったりして、そのあたりに住んでいた人たちがだいぶ世田谷線沿線に引っ越してこられたという話を聞きました。

昔からお祭りが盛んで、下町的な要素がある町だったと思います。盆踊りは5丁目の若林小学校で開催されていたので、自宅が1丁目なので子供時代は遠くてなかなか行けなかったですが、近所の稲荷神社のお祭りにはよく行っていました。神輿も山車もずっと昔から変わりませんが、昭和30年代の後半ぐらいに大きな太鼓にしたり子供たちがみんなで山車を引くイベントを始めたりしました。」



いま開催されているお祭りやイベントで会長のイチオシの見どころはありますか?


「例大祭での神輿の渡御(とぎょ)、いろいろな地域から担ぎ手が集まって協力しながら神輿を担いで練り歩きますが、これはもう見ていて非常に気持ちいいものです。数十年前はよく喧嘩もあったようですが、今は統率もとれ、祭り事をみんなで楽しむ雰囲気です。お祭りのときのカラオケも面白いですよね。若林小学校の子供たちがステージで10人ぐらいでぱあっと歌ってくれたり、もう80過ぎの名物住民の方々が朗々と演歌を歌ったり、お祭りの奉納演芸じゃないと見られない風景です。」



いまの若林はいわゆる住宅街が多いですが、緑道があったり松陰神社前の商店街や世田谷通りがあったり、歩いても楽しいまちだと思います。会長のとっておきのスポットがあれば教えてくださいますか?


「緑道がいいですね。散歩で宮の坂や大橋まで行くこともあります。緑道の近くに住んでいる方の多くはそういう楽しみ方をされているのではないでしょうか。私は若林の外れに住んでいて端から端まで緑道を歩いたり自転車に乗って移動したりしますが、若林のどこにいてもとても穏やかな感じがします。

まちの良さということについて言えば、今年の初め頃に若林小学校の6年生の授業に参加させてもらいました。その中で、子供たちが若林のまちの良さを子供たちなりに考えていろいろと議論しているんです。たとえば、若林は交通の便がいいまちであるとか、一方でより良い交通安全のために各路地の角にカーブミラーをつけてもらいたいとか。また、若林ならではの名物を作ろうという企画もあり、来月3月にその発表会が行われる予定になっています。」


次に町会活動についてお伺いします。今年元旦に能登半島沖での地震があってかなり被害が出て、まだ避難生活をされている方も大勢いらっしゃいます。若林町会は昔から防災に力を入れていると評判ですが、特に町会として注力している活動について教えていただけますか?


「各丁目のネットワークと防災部が中心となり、世田谷区や消防署や消防団の協力をいただきながら、1丁目から5丁目まで様々な防災教室を開くなど主体的に活動を推進しています。

1月2日の羽田空港の事故を見ても、あれだけの人数が全員旅客機から無事避難できたのはまさに訓練の賜物だと思います。世田谷にどの程度の震災が来るのかは誰も想定できないわけですから、住民や団体同士でいざというときにコミュニケーションを取るためにも、防災教室や防災訓練をずっと継続して取り組むことが大切だと思います。

一昨年、若林小学校の校舎を活用した避難所訓練を実施しました。そこで、マンホールトイレの水が流れないとか、バーナーの火の付け方が思うようにいかないとか、様々な課題が見つかりました。昼間の無風で好天の中でさえそのような状況です。いざ震災発生時、真っ暗な闇の中や寒い雨が降っている中でも対応しなければならないかもしれません。訓練によって改善点が見つかり、それを反省しながら次のステップに進むことができているのは素晴らしいことです。

今度、教育総合センターでも災害時の避難所提供の協力をしていただけることになりました。そこでの運営方法にも目配りをしていく必要があります。5丁目ネットワークと防災部を中心に、若林小学校を拠点として若林小学校と教育総合センターのキャパシティをうまく割り振るための旗振りをする形に持っていくといった運営方針をきめ細かく考えてくれています。

ただし、所詮は若林小も太子堂小も三茶小も数百人収容できるかどうかという規模ですし、在宅避難の重要性をもっと徹底して周知していくべきと思います。

また、最初は町会役員が避難所運営をできるかもしれないが自分自身も被災者であるのでいつまでもそこでずっと陣頭指揮を取れるとは限らず、結局は避難所に来ている人たち自身で運営することになる可能性があるということを、きちんと周知していきたいということを防災部メンバーとも話しています。」



最後に、町会加入率が年々下がっていることが課題として言及されることが多いですが、そのあたりについて若林の現状や今後の展望についてのお考えをお聞かせください。


「若林もそれほど町会加入は増えていないですが、そうした中でもいろいろな取り組みを進めていただいてることはすごく励みになっています。地域SNS「いちのいち」等も活用しながら、新しい切り口で町会の活動を周知していければ、今後町会に加入していただける方も多くなるのではないかと思います。

最近、私の自宅の近所で建て替えがあって、移り住んできた4軒の新しいご家族も皆さん若い人ばかりです。皆さん非常に協力的ですし、まちの運営の妨げになるようなことを言う人もいません。また、町総連(世田谷区の町内会・自治会の連合会)などに連絡を取って「若林の町会長と話をしたい」「町会に入りたい」などの相談をされる方も年に3件か4件ぐらいはあります。まだお子さんがうんと小さくて身動きが取れないけれども、子供が少し大きくなって手が離れたときには顔を出したいと言ってくれる方が多くおられます。この若林に引っ越してきて、まちに溶け込もうと考えていただける方がたしかにいるということで、うまく町会での活動をしていただけると良いなと思っています。

若林では様々な年間行事があります。盆踊りやラジオ体操など、子供たちから大人、高齢者まで多世代が参加できるイベントをまちとして考えて企画していて、かなり多くの人が参加してくれています。一握りの町会役員だけで運営しているわけではなく、まちの多くの方々が協力して実現しています。そういう方々をうまく町会加入まで結び付けていきたいと思います。」



最後に、新たに若林に移ってきた人向けにメッセージをお願いしたいです。


「ぜひ色々な情報を見ていただき、町会への理解を深めていただきたい。人と人との連携、繋がりというものを本当に大事にしていきたいと思いますし、実際に町会メンバーはそれを生かした形で活動しています。そういう中にぜひ参加していただきたいという気持ちでいっぱいです。

小学校のPTAに参加されているお父さんお母さん方も、自分の子供たちが小学校を卒業したらある程度時間が取れると思うので参加したいというお考えの方も増えてきています。

いろいろな方が参画していただくことによって、もっと若々しい意見というものが出てくることによって、ガラッと変わってくると思うんですよね。

今は年間行事として夏の盆踊りとラジオ体操、秋のお祭り、敬老会という形で四つの大きな行事があり、その他に各部が主催するイベントはありますが、それだけでなく、中間層の世代の人たちがもっと楽しめるイベントがあってもいいかなというふうに思います。新しい視点でのアイデアを出していただきながら、ぜひ一緒に街をより良くしていきましょう。」


どうもありがとうございました。


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